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画家
奄美市在住。奄美大島を拠点にパステルを画材とした光の絵「光景画」を描く、光景画家。小さい頃から、絵を描くことの意味について考え続けてきたが、ここ数年で「光を描くことこそ『本当の姿』を描くことである」と創作意義を見つけ、パステルというプリミティブな画材に出会い、2005年より本格的に活動を開始。 画家
18歳のとき東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科に入学。将来を嘱望されていたが、病気や生活苦のため画壇とは離れ、地道に画業に励んだ。50歳の時に南の島々の自然に魅せられ、奄美大島に移り住む。大島紬の工場などで働きながら、不遇な生活の中で奄美を描き続け、69歳でその生涯を終えた。 画家
32歳で日本を離れ、各国を放浪し、1920年に渡米。一貫して平和への願いを込めた作品を描き続けた。保の作品は高い評価を得て、戦時中は日本軍へ投降を促すビラの挿し絵を担当するなど、反戦活動に尽力。祖国日本への原爆投下に対しても反戦絵画を発表した。1948年にルイーズ夫人と結婚し、ニューメキシコ州サンタフェへ移り住んだ。1967年には龍郷町へ53年ぶりの帰郷を果たし、その8年後、サンタフェの病院で88歳の生涯を閉じた。 画家
大阪芸術大学卒業後、学校講師などを経て1991年パリへ留学。現在、国画会準会員。鹿児島県美術協会会員。Tojo Art School主宰。南日本美術展「海老原奨励賞」(1983年)、南日本美術展「第8回パリ賞」(1990年)、滞欧作品展 鹿児島市立美術館(1992年)、第78回 国展「新人賞」(2004年)、第79回 国展「国画賞」(2005年) 画家・版画家
1958年 望月信成先生に従事(油絵)、1961年 二科展初入選(’67まで5回入選 金賞1回)、1963年 二科展 読売アンダーパンダー展出品、1965年 岩崎巴人先生に従事(日本画)日本表現派展(’69まで出品)ドイツ表現派東京展招待出品(都美術館)、1985・86年 N・Yギャラリー’91にて企画展招待出品、1992年 第37回CWAJ現代版画展初出品 個展(静岡)木版画出品。現在、作品発表は個展、企画展、画廊にて。 グラフィックデザイナー
デザイン工房アイランドを運営。DTP、web、DTV等、分野を問わず活動中。オリジナリティの高い作品を目指し、写真・イラスト・絵本なども制作。絵本『バナナムーン』で第4回ART BOX絵本新人賞受賞。 画家
ブロードウェイ新人賞展、ローマン派美術協会展、新世紀美術協会展他個展:東京銀座、福岡天神、名瀬市他40回現在タンギー工房絵画教室主宰、奄美文化センター絵画講座講師 画家
浪速短大デザイン科に学ぶ。幼年期を徳之島で過ごす。落馬したのが原因で、9才の頃鹿児島の父の元へぽんぽん船で単身密航する。後にイラストレーターとなり、76年徳之島へ27年ぶりに訪れた事が画家転向へのきっかけとなり、幼少時の記憶の原風景を描き続ける。 1980年から銀座松屋、新宿小田急、大阪三越、梅田大丸、鹿児島山形屋等、各地で個展開催。1991年、宮トオルふるさと展。伊仙町中央公民館、徳之島町中央公民館、奄美文化センター。宮トオル画集 白月夜刊行(河出書房新社)毎年個展を中心に活動。 |