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作家
敗戦後、密航で宮崎県の港に入国。その体験から、海を舞台にした小説、児童文学を数多く著す。『怨の儀式』(三交社)が第70回直木賞候補、『日出づる海 日沈む海』(光風社書店)が第80回直木賞候補に。(『日出づる海 日沈む海』は、1982年・海風社/南島叢書『祭りの海』に改題、1987年・海風社/南島叢書『祭りの海』前後編に改題) 作家
出版企画「あさんてさーな」代表、日本ペンクラブ会員、管理栄養士『グンセイフの夜』(1997年)南日本文学賞、『マブリの島』(1998年)新日本文学賞著作に『何もいらない-歩き続けた画家 保忠蔵の足跡』(高城書房刊)ほか現在、奄美群島振興開発審議会委員、鹿児島市立美術館協議員、鹿児島市文化財審議会委員、鹿児島シティエフエム番組審議委員、文章教室講師(鹿児島市・名瀬市) 作家
本名・大屋典一。少年時代両親が他界し、親類の家などを転々として過ごす。その後東京に居を構え、文芸作家として生計を立てるようになった63年頃から島に訪れるようになる。1967年、自伝的小説『青幻記(せいげんき)』が第3回太宰治賞受賞。73年映画化され、同年度キネマ旬報邦画部門ベスト3に選出された。 作家
戦時中奄美大島に赴任。島でミホ(作家)と出会い結婚する。上京して吉本隆明らと雑誌『現代評論』を始めるが、妻の病気のため妻の実家がある奄美に帰島。鹿児島県立図書館奄美分館長などを務めた。心因性の精神症状に悩む妻との生活を描いた『死の棘』は小栗康平によって映画化されカンヌ国際映画祭に出品された(審査員大賞受賞)。主な著書は『夢の中での日常』『出孤島記』『死の棘』など。 作家
作家、島尾敏雄の妻。『海辺の生と死』で第15回田村俊子賞 詩人
1982年、詩集『日常の眼』(沖積舎)で第10回南日本文学賞。 1988年、『童女記』で第12回山之口貘賞を受賞。 ミステリー作家
『中空』が第21回横溝正史ミステリ大賞優秀賞(2001年)。2000年奄美大島に移住。現在奄美大島ツアーで夜の森の特別ガイドを務める。奄美野鳥の会HPに自然観察記録「鳥さんのフィールドノート」を連載、ほぼ日刊イトイ新聞にエッセイ「ハブの棒使い」、「ヒウおじさんの鳥獣戯話」を掲載中。著書に『昆虫探偵 シロコパκ(カッパ)氏の華麗なる推理(文庫版)』『非在』『痙攣的 モンド氏の逆説』など。 作家・翻訳家
ロシア文学者。加計呂麻島実久村(現在の瀬戸内町)芝生まれ。本名は直隆。 1896年(明治29年)東京神田駿河台のニコライ正教神学校に入り、7年間学ぶ。1905年大阪朝日新聞社の嘱託となり、ロシアの新聞、雑誌の翻訳に従事。1904年日露戦争勃発後、ロシア研究熱が高まったため、21年間に45点の翻訳出版を行い、ロシア文学者としての地位を固めた。その後陸軍士官学校、早稲田大学講師。代表作「六人集」「どん底」を始め、生前百八十余りの翻訳・著作をしている。太平洋戦争終戦後、奄美群島もアメリカの統治下に置かれる中、曙夢は「大奄美史」を1949年に発刊。1951年奄美大島日本復帰対策全国実行委員会が結成され、曙夢は委員長に就任し、復帰運動に尽力。1953年12月念願の奄美群島の日本復帰が実現した。 |