来る(2006年)4月15日、地元・徳之島町文化会館で初のソロコンサートを開くという禎一馬。当日は限定CDを引っ提げての凱旋となる。チケットは既に完売。「一番緊張する」という大一番だ。普段は東京山手線沿線の路上に立ち、三線一本で徳之島への想いを唄う。外見は「闘牛の島」というイメージにぴったりだが、素顔の彼は素朴で心優しい好青年だ。故郷徳之島が大好きで、将来は島のためになる唄を唄いたいと語る。 Interview○Page 1|2| 聴いただけで島に来たくなる、 ――まずは4月15日の地元でのライブですが、前売り券が完売ということで、おめでとうございます! このライブを行おうと思ったきっかけから教えてください。 禎: ありがとうございます。僕は去年、一昨年と徳之島での祭りなどでも唄ってきて、去年の暮れに、遂にCDを出しました。これを島の居酒屋なんかでもかけてもらえるようになって、よし!認知されてきたぞ、じゃあ(ライブを)やろうかってことです。最初は2月か3月に企画をしようと考えていたんですけど、島のイベンターが「その時期はサトウキビで大忙しだから、人が集まれないよ」って。それで4月の半ばになったんですね。 ――この日に合わせて新作のCDも発売ということで、楽しみですね。 禎: 徳之島町文化会館でやるんですけど、来るお客さんは既にCD『月夜光ル』は持ってるだろうと。せっかくだし、物販が何も無いというのも寂しいので、共演する同郷のシンガー、あずままどかとCDを作ろう、という話になったんですね。 先日、1日で3曲録音しました。今回はこの日の為に作ったので、500枚限定です。追加プレスはしません。自分で徳之島を唄った唄ばかり入れました。 タイトルは『ユイの島〜徳之島〜』といいます。 観光協会にも推薦して、ぜひ空港とかで流して欲しいと思ってるんです。 聞いただけで島に来たくなる、そんな唄を作りたかったんです。 ――レコーディングの様子はいかがでしたか? 禎: まあ、いつものメンバーで楽しくやりました。エピソードなんてものはそんなに無いんですよ。自分の唄の音程がちょっと気になったんですけど、直すのはやめました。エンジニアにも「それは味だよ」って言われて。もっと唄を鍛えないといけませんね(苦笑)。実は僕は音楽に対する勉強を何にもしていなくて、上京してから歌い始めたんですよ。それがメジャーの人たちと共演出来たり、CDを出したり。恵まれてるなって思いますね(照笑)。 路上での人との出会いが原動力 ――歌い始めたきっかけは何だったのでしょうか? 禎: テレビのカメラの仕事がしたくて、専門学校入学を期に上京したんです。小さい頃から映像に興味を持っていたんです。でも、憧れていた東京とは違うという現実の壁に当たって、ホームシックになっちゃって…。そんなとき、テレビでBEGINが流れてきたんです。彼等のシマ唄って、沖縄というより、ひとつのジャンルになってるじゃないですか。それで、三味線ってかっこいいなって思って、すぐじいちゃんに電話して送ってもらいました。それから一人部屋でCDを聞いたりして、耳で探って練習しました。そして人前で歌ったときに感触があったんです。伝えられた!って。 ――それでストリートライブを始めたんですか? 禎: 当時、僕は蒲田の寮に住んでいたんですよ。それじゃあ、大きい音も出せないじゃないですか。そこで練習がてら川崎駅まで歩いて、隅っこで三味線を広げて練習してたんです。そうすると、沖縄や奄美の人が近づいてくるんですよ。懐かしい島の方言なんかで話しかけてくれるんで、そんな出会いが楽しくって。ただ、シマ唄をやるに当たっては自分は独学だし、(シマ唄は)神聖なものだって聞いていたので、だったら東京に出て来た自分が、遠くから思う島の歌を作ろうって。だから新しいシマ唄っていうか、シマ唄ポップスをやりたいなって感じなんです。 ![]() ――昨年の椿山荘も、路上での出会いから繋がったんですよね。 禎: そういう出会いが自分の中の大きなものになってますね。今のバンドのメンバーとも路上で出会いました。1日、2〜3人くらいは奄美の人と出会うんですよ。ワイド節なんか弾くと、路上でも踊りだす人もいますから! 今後も辞めないつもりだし、島に帰れないって人もいるので、唄で元気づけられたらって思いますね。 ――そんなワイド節は、まさに徳之島を象徴する唄ですよね。 禎: 僕も血が騒ぎます(笑)。自分達のテーマソングだと思ってますから。「キター!」みたいな。闘牛では必ず流れます。宣伝カーがビラを撒くんですけど、そのバックで流れています。そのビラを子供たちがねだるんですよ。そういうスタイルが小さい頃から、今も何も変わらないんです。だからワイド節は身体の中に根付いてるんですね。(携帯電話の)着メロにしたいんですけど、見つかりませんねぇ(笑)。
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