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坪山豊

シマ唄は全部が学問
やるなら徹底的に


 ――坪山豊さんといえば、奄美を代表する新民謡「ワイド節」の作者としても有名ですね。制作裏話等がありましたら、ぜひお伺いしたいのですが。

坪山: 私は42歳からシマ唄を始めたんですけど、「ワイド節」は56歳のときに作ったと記憶しています。当時私の家内の身内に、中村民郎という詩人がいたんですよ。病院で技師をやっていたんですけどね。奄美の新民謡もよく作っていたんです。そして彼の患者さんの中に徳之島出身の方がいて、「先生、徳之島の歌はまだ作っていませんね」と言われたらしいんです。それがヒントとなって、徳之島なら闘牛だな、という事で私のところに詩を持ってきたんです。
その時は徳之島の方言じゃなかったので直しましたが、曲を作るとなると現場を見みなけりゃいけません。ところが私は、闘牛が苦手だったんです。そんな時、ちょうど日曜日に徳之島でシマ唄の公演があって、ついでに見に行ったんです。勝った方の盛り上がりを見たとき、「よし、これだっ」と、そのままイメージを家に持って帰りました。
明くる朝ウチの子に…とはいっても現在44歳ですけど、そのときは中1くらいかな…、朝飯を一緒に食べながら、「父ちゃんが面白い唄を作るから、カセットテープに吹き込んでくれないか」と昨日見たままを唄ったんです。息子には「二度出来るかなあ」と笑われたのですが、何度も唄えました。それが現在のワイド節。たったの5分間でした。それがあちこちで歌われて。1つ作ればもう、楽なもんですよ。2つ、3つ、10曲くらい詩があったもんで、全部作って録音しました。でもシマ唄だから出来たんだろうと思いますね。これが歌謡曲だったら、私は譜面も書けませんし、ピアノも弾けません。三線しかできませんから。
実はまだ家には詩がたくさんあるんですよ。今度はこれをなんとしても作らねばならないのです。何しろ再来年は80歳ですから!

 ――名人を育てる名人と言うことでも、坪山さんはお名前が高くてらっしゃいますね。

坪山: 名人は5、6人育てましたけど、これも面白いことに、「坪山さんに習えば日本一になれる」と、親や友人達が子どもを連れて来るんですよ。そうそうできるもんじゃないんですよ。素質はもちろん、島口が大事ですから。私自身もあちこちで声が掛かってますから、教える時間もない。現在は30名くらい教えていますが。

 ――教えるに当たっての秘訣は何ですか?

坪山: 私の場合はちょっと変わってまして、「師匠」や「先生」と呼ばせないんです。私より下は「豊兄ィ」でいい。上はあまりおりませんけど、「豊」でいい。子ども達なら「豊おじ」でいいと、そういう風にやってます。そうすると、自然と仲間意識が出るんです。お互いががんばるんですよ。仲間はある意味競争ですから、これが第一です。そして全員を同等に見ることです。

坪山豊と弟子の貴島康男

 ――中孝介さんも教え子だそうですね。

坪山: 半年くらいでしたか、三線の基礎の基礎を習いに来てました。それで、あんたの好きなテープを買って勉強しなさいって言ったんですよ。そうしたら、元ちとせのテープを買って勉強していました。がんばり屋で、最初にCDをもらったときは、私も色んな所に持っていきました。楽しみですよ、ああいう子がいるのは。ああいった子が出てくると、自分の年なんてどこかに行ってしまいます。今は彼の母親がウチに来てますが、あの声は母譲りですね。でも今ではシマ唄は母親の方が上ですよ。

 ――最後にお聞きしたいのですが、坪山さんは三線を半音下げていらっしゃいますが、どういった事から始めたのでしょうか?

坪山: 最初は、シマ唄は声を限界まで張り上げて唄う、それがいいものとばかり思ってたんですね。ところがコンクールを狙うんじゃなく、本物の唄、相手の心を掴んで欲しいとなった場合、シマ唄は「癒し」ですから、もう一度唄を聴きたいと思わせないといけない。自分の歌える範囲内で、無理をしない。今、それが流行ってるようですよ。

 ――本日はお忙しい中、ありがとうございました。最後に、読者に一言お願い致します。

坪山: 奄美には文献という物が無くて、シマ唄の中だけに残っているんです。だから「カンツメ」「むちゃ加那」という唄を唄うとなると、調べたくなるんです。そうすると背景が見えてくる。ああ、奄美はそういう島だったのか、と。それが分かると、今の子ども達にも、奄美はこういう時代があって、成長して、今があるのだ、と伝えたくなる。シマ唄の中に有ることを知ること。それが出来ないと、伝承は出来ない。
”半学”(「唄は半学」とも言われていて、シマ唄をマスターすることは人生の半分を学んだに等しいという意)という言葉がありますけど、シマ唄は”全学”です。シマ唄から、奄美の歴史など、いろいろなことが学べますから。
シマ唄をやるのなら徹底的に。でないと、大切な唄文化が変わってきてしまう可能性がありますから。そういうことを思っています。



坪山豊■プロフィール■
坪山豊 (つぼやまゆたか)
昭和5年、奄美大島宇検村の生勝生まれ。
昭和47年9月、名瀬で開催された「実況録音奄美民謡大会」で脚光を浴びる。42歳のデビューである。島の土と潮の香りを彷彿とさせるその声と、独特の三線が重なると哀愁が漂い、人は余情の唄者と呼んだ。
昭和48年セントラル楽器より早くもレコードを制作。以後、ミスター奄美シマ唄、坪山豊の金字塔は続く。昭和53年ワイド節作曲。昭和54年あやはぶら節作曲。昭和55年ベルスーズ奄美名瀬公演・ボーカル担当。昭和55年奄美民謡大賞第1回大会・大賞受賞。平成12年沖縄サミット記念沖縄芸能団欧州公演に参加。平成12年南日本文化賞受賞。平成12年伝統文化ポーラ地域賞受賞。ほか多数(セントラル楽器調べ)。
本業は奄美にただ一人残る舟大工。後輩の指導にも熱心で、過去に何人もの有名唄者を育てた。


 

□坪山豊  DISCOGRAPHY


【セントラル楽器のホームページ】を参照。坪山豊のカセット・CDの購入も可http://www.simauta.net/tsuboyama_yutaka.html


 

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