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奄美は「いつか行く場所」だった ――村松さんと奄美との出会いのきっかけから聞かせて頂けますか? 村松: 長くなるよ(笑) 僕は東京生まれなんですけど、子どもの頃から蝶が好きでね。母は僕が興味を持っているものを学びに繋げたかったんでしょうね、大人でも使えるような事典を買ってくれまして。それには見たことも無いような蝶がいっぱい載っていて、「生息域:奄美諸島以南」というのがたくさん。島は、南方系の蝶の北限なんですよ。だから僕にとっての島の第一印象は、はぶら(蝶)の島。そこに行ったら蝶がたくさん見られるだろう、という一番最初の憧れが見つかったんですね、6つか7つの頃に。 ティーンエイジの頃には、今の僕に繋がってくる重要な要素として、アメリカやロンドンの文化と同じように、日本のフォーキーなものに興味があって。民謡というくくり方はあんまり好きじゃないんだけど、土着の唄を聴くという時期があって、初めてなのに自分に響いてくる。これはどこの音楽だろう、と思っていると奄美大島のそれだったんです。 その2つで、僕にとって奄美は「いつか行く場所」という風に自然に思えて。でもあえて行かなかったのは、自分の中で、なんとなくそんな時期が来る…なんて分かっていたからなのかもしれないですね。 ――奄美には、思いが強いと誘われる、なんて逸話があるくらいですもんね。 村松: その後大学在学中に自分のアルバムを出すようになって、『あなたの音楽はとても懐かしい』と鹿児島の人から手紙をもらいまして。『奄美大島をご存知ですか?』と返したら、『自分の妻が島出身です』と。今度は『僕は島へ行きたいんです』と返すと、とある方を紹介してくれました。それが17年前のことです。僕は仕事があると、ちゃんと予定をやり繰りして時間を作るんです。ハプニングがほしいなあと思うので、しばらく滞在して、それから毎年1ヶ月づつ奄美にお邪魔してました。 そんな中でたまたま今から4、5年前に、僕は音楽の旬を届けたいなあ、自分の中に沸き上がった音楽を、そのタイミングでCDにして届けたいなあ、と思うようになって。そこで自分でレーベルを作りたい、と思ったときに、じゃあどこから音を放ちたいか、と考えました。ご存知の通り僕の音楽にはそのほとんどが言葉(詞)が無く、音で伝えていく“音魂”の音楽。だから僕のイメージしてるシーンが、音楽を通して聴き手に伝わりやすいんだと思うんですよね。夏にビーチボーイズ聴く感覚ってあるでしょ?じゃあ村松の音楽はどういう風に聴いたらいいんだ、となった場合、僕はイメージとして水辺っていうのがあった。人は皆水辺で暮らしてるって感覚があって。とは言っても、東京都江戸川区とかじゃない(笑)。 ――確かにイメージではないですよね(笑)。 村松: 水はどういう風に動いているかっていったら、森に降って流れになって海を目指して、海からもう一度雲になって戻ってくるという輪廻(りんね)がある。大げさに言えば、僕らはその間のどこかで暮らしてるんですよね。 ところがそのサイクルは山に行って雨を体験しないと分からない。海に行かないと水が空に舞い上がるって分からない。それが島にいると、非常にコンパクトな形ではっきりと分かるんです。飛行機で奄美大島に飛んで行くとよく分かるんだけど、島の上だけに雲がある。つまり、森が無いところに雲は沸かないんですよね。だから奄美大島や徳之島っていうのは本当に雨がよく降る。ああ、ここは水の島なんだって思ったときに、自分のポジションを、雨が降る場所と水が行き着く場所に心が繋がるようにしたいな、という気持ちが強くなって。ああ、僕は音を出すなら、音に住所を与えるなら島にしたいなぁ、と。それで本拠地を奄美に移してしまい、それから3年が経ちます。
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