農業が12世紀の前後には伝わり、狩猟採集生活から村を中心とした集団生産が始まったようだ。歴史の常として、農業による貧富の差が生じ、有力者は沖縄本島に倣って按司(あじ)と呼ばれ、グスクと呼ばれる城を拠点にして、周辺を支配していく。代表的なグスクに、奄美市笠利の辺留城(べるグスク)、和泊町の世之主城(よのぬしグスク)がある。有力な按司は勢力争いを繰り広げ、内乱が起こるようになった。1185年の壇ノ浦の戦いで敗れた平家が、奄美諸島に敗走してきたという物語もある。平行盛と平有盛、平資盛が喜界島に落ち延び、次いで奄美大島に渡った。行盛は現在の龍郷町戸口に、有盛は奄美市名瀬浦上に、資盛は瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構え、源氏の追随に備えていた。3ヶ所にはそれぞれを祀った行盛神社、有盛神社、資盛の大屯神社があり、多くの平家伝説が残されている。現在も奄美に多い苗字「平」や「平〜」は、彼等の子孫であるとも言われている。「按司世(あじんゆ)」とも呼ぶこともあるが、この時代までを「奄美世(あまんゆ)」と呼ぶこともある。
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