■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】
―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―
vol.2 ミーニシに乗ってサシバは南へ
■「いらこ鷹」よ
南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり、
いらこ鷹など、歌にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる…
松尾芭蕉『笈の小文』
沖合を流れる黒潮に手を差しのべるかのように太平洋へ向かって延びる渥美半島は、私の見知らぬ祖母の故郷であり、遠縁の親族が多く住む出自の地である。
かつてその海浜に遊び、打ち上げられた椰子の実を胸に当て、遠き島々への思いをはぐくんだ若き日の柳田國男は、やがて名著『海上の道』を著し、日本文化と心情の伝来ルートを黒潮に求めた。
私が17歳のときに亡くなった父は、死の直前まで、沖縄を含む南西諸島へ憧れ続けた。
想うに、それは、やはり少年時代に実母を亡くした父の「ははがくに」(原郷)への懐郷の思いでもあったことだろう。
ある秋の朝、伊良胡の浜で捕えられ、腕に抱えていた鮫の子に指をかまれ、そのまま泣きながら母親のもとへ走って戻ったという幼き日の父。
やがて膝の上に抱かれつつも、まだ濡れた眼に、澄み切った大気の中を空高く巻き立つように駆け上がっていく小鷹の群れが映ってはいなかったろうか。
サシバは、小型の鷹で、秋になると群れをなして南下する風景がよく見られるため、昔から親しまれ、人々の生活に季節の彩りを添えている。
このサシバが、本土から海へ乗り出すところとして知られているのが伊良胡岬である。
そして島伝いに南へ向かい、赤道近くまで下るようだ。そこで冬を越し、晩春に再び戻ってくる。
南西諸島の空に姿を見せるのは、新北風(ミーニシ)が吹き始め、ようやく日中の暑さがとれる10月下旬頃である。木々の紅葉があまり見られない島の生活にとって、サシバの到来は、秋の深まりを強く印象づける出来事であった。
よって、島では、このサシバ(タン、ター)の名を冠した季節の表現法がいくつもある。
《タンビャイ》秋の晴天が続く。
《タンカゼ》朝夕の冷え込みと空気の乾燥で風邪をひきやすい。
《ターマジュン》冬ごもりに備え、ハブの食餌行動が盛んになる。
《ターガン》川に棲むモズクガ二が、産卵のため海辺へ下る。
徳之島での事例
■星座に導かれて
さて、このサシバは、どのようにして渡りの時期を知り、またコースから外れずに飛び続けることができるのであろうか。
蒼窮という名にふさわしい晩秋の空を横切っていく、渡り鳥の群れを見上げるたびに、いつも不思議に思った。最近の説では、飛び立つとき地磁気で方向を定め、地形図と、そして、夜間飛行中は、主に天体コンパスで位置を確認するという。つまり、星座をよむのである。
北半球では、北極星を中心とした星座図を頼りに方向づけを行うことが、プラネタリウムを使った実験で確かめられている。渡りの時期や飛距離は、体内時計で知るらしい。
それにしても、誰がこのような仕組みを彼等に与えたのであろうか。自然の摂理を、目的論で測ろうとするのは愚かなことであると知りつつも、ついそう問いかけてしまいたくなるのである。
■海坂を越えゆく
八重山諸島の人々にとって、タンは、年の変わり目に水平線の彼方にあるニライカナイ(根の国)からやってきて、世界報(豊かさや幸せ)をもたらしてくれる存在であった
その国は、海坂を越えた南方にあり、島に生きる人や動・植物の発祥の地である。
また、それらを支え活性化させる魂=霊力(マナ)の源でもある。
東京で思春期を迎え、20歳代半ばまで生活するうちに、私は、いつしか「ふるさと」を失い、その空虚な思いを必死に何かで埋めようとしていた。
やがて父の志を受けてか奄美・沖縄の土を踏み、そこに魂のふるさとを捜し求めて送った漂泊の日々は、通いを含めれば30年あまりの歳月となる。
それは今も、心の深層に広がる「意識の海」への旅として続いている。
そして、いつかは、その海坂を越えたいと願っている。
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