■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】
―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―
vol.5 自主独立運動の波-II
■生きるための道
1949年以前の沖縄には、奄美出身者は、学校の生徒や水産関係または官庁のれんらく事務所などに50名ほどがいただけで、それが、すべてと言ってもよかった。しかし、翌年になって民間貿易が許可され往来が自由になると、おりからの基地建設ブームを当て込んで、若者を中心にどっと押し寄せ、あっという間に約20万といわれた奄美の総人口の4分の1近くが、沖縄本島へ流れ込んだのである。
彼らは、せっせと故郷へ送金し、それによって奄美経済は、ようやく息をついてきたといっても過言ではない。だが、人が増えれば当然、仕事も過当競争になる。寄るべき人間のいない奄美出身者は、労賃を不当に安くこき使われたりした。
また、仕事を奪われることを心配した沖縄の労務者から排撃されるようにもなった。さらには、仕事にあぶれる者もだいぶ出てきた。
さて、そういう人々は、明日生きる糧を見出すために、どういう道をたどったであろうか。先にあげた『自由』(1951年6月号)の社会時評欄に「パンパンの言い方」と題して、次のような証言が載っている。
「一家6人、はだかで満州から引き揚げてきました。開拓団でだまされて、とてつもない夢をみていたのです。親父は中風です。母も病気がちです。弟も妹も小学校を出ましたが、仕事がありません。山に行って薪を採ってきても、買ってくれる人もいません。家は、掘立て小屋でもつきに300円、地料は一坪7.8円、配給食料代が月に240〜250円、床屋、風呂屋何ひとつわれわれの手に安くつくものはありません。
金を貸してくれるものもいないし、仕事をさせてくれるものもありません。本土へもいけないし、死ぬこともできません。税金は高いし、着るものもありません。高利貸しに頭を下げるよりは、からだを売って一家の飢えをしのぐほうが、気持ちがさっぱりしています。私の生き方が悪ければ、働いて平和を楽しむことのできる世の中にしてください」
これを受けて芳朗は、
「パンパン嬢の激増は、社会現象にすぎない。その激増を憂える為政者や指導者諸賢は、彼女の言い分の中にある重大な政治的進言に耳を傾けるだけでなく、彼女達を不幸に落とし入れるのは、実は、自分たちであるということを自覚するべきであろう」
と、「軍国主義の時は軍国主義に、民主主義の時は民主主義に唱和しておれば万事OK」という態度の指導者層を舌鋒鋭く糾弾している。
この後も、パンパン(売春婦)問題は、奄美の政治・経済の動向とともに同誌に何度も登場する。
では、沖縄の人々は、この状況をどのように見ていただろうか。1951年2月の新聞「沖縄タイムス」に「南北琉球より流れ込む無籍者に多い凶悪犯 議会が積極的防止策を要求」という見出しで、議員が警察に対して、奄美や八重山諸島からやってくる無籍者(本島に関を持たない人々)対策を要求する記事が載っている。
そこには、新参者への恐れと困惑、そして偏見が色濃く表れている。
「殺人、強盗と最近とみに凶悪な犯罪がみられるようになり、これが他群島から流入した無籍者に多い傾向がある関係から、他群島からの流入、無籍者の絶滅による犯罪防止が叫ばれるようになっている。仲村警察本部長から次のように対策について回答があった。
仲村:多くは大島や宮古の者に、この種の事件が起こっている。できれば写真や指紋もとる方法を考えているが、居住は自由なので止めるわけにはいかない。…また流入者の大部分が偽名で来ている。他の政府(奄美群島政府)と連絡し、なるべく目当てのない渡航を止めて貰うことが大事である」
■狩り立てられて
この記事以来、「無籍者狩り」の話題が、よく眼につくようになる。またオオシマ(奄美全体の俗称)一種の差別用語として定着していく。
「警察本部の50年度中、犯罪検挙者、本籍地調べによると、…出身地では首位が大島の643名、…女の犯罪は大島の221名が多く、…なお大島政庁連絡事務所の統計では沖縄本島在住の大島人は857名、…と報じられるが、警察本部捜査鑑識課では、本島在住外来者の無籍者は2万人と推定」 『自由』誌(同年6月)は、やはり経済構造の問題として論評している。
「ひところ、沖縄のパンパン狩りをめぐって、大島は筆頭にその名をあげられたが、今また沖縄のヤクザ狩りで、ぬぐいがたい悪名を琉球の天地にとどろかせようとしている。ところで『だれが、こんな男にしたか』ヤクザ渡世の街のアニキたちは、どんな言い分をもっているのであろうか」と!
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