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■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】


―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―


vol.6 まぼろしのシマをめざして-I

■浄土の海へ

 中世の浄土思想のひとつに補陀洛(ふだらく)渡海というのがある。小舟にのって西の海に漕ぎ出し、沖に出たら、ひたすら念仏を唱え西方浄土への導きを願うのである。これは、今で言えば一種の入水自殺であるが、当時は、極楽往生のための最も確実な方法とされた。
 海の彼方にあるシマへの思いは、現在でも私たちの心に脈々と受け継がれているようだ。私自身のことは、すでに述べたが、ここでは、私が出会った一家族の物語を書き記しておきたい。

■「ボーII世号」の旅

 その日、当時の徳之島の玄関、亀徳港は、明るい日差しに包まれ、岸壁の白がまぶしく感じられるくらいの陽気であった。私の歩む先には、舟溜まりがあり、漁船にまじって、ひときわ目立つ外航用クルーザーが浮かんでいた。
 この島には、アメリカなどから南太平洋をぐるっと回っている途中の豪華ヨットが、たまに立ち寄るが、それらに比しても遜色ない見事なものだった。その甲板上で、赤銅色に潮焼けした男が、まっすぐ天に伸びた帆掛を背にロープを繰っていた。精悍という表現が、いかにもふさわしい立ち姿である。私は、来訪の意を告げた。
 仮にW氏としておこう。彼は鋭い眼光で、こちらを見つめながら、話にじっと耳を傾けたのち、取材を快く受け入れてくれた。
 案内されて艇に入ると、落ち着いたチーク張りの内装の奥にベッドルームがあった。そこへ背をかがめるようにして入ったとたん、私は一瞬ギョッとした。
 イガグリ頭の女の人が座っていたからである。しかし、その顔は穏やかで、笑みをたたえていた。挨拶をし、視線を移した。その女声は、言った。
 「娘なんですよ」
 次の瞬間の出来事は、私に生涯忘れることのできない衝撃を与え、生きることの意味について常に問いかけてくる一場面となった。
 彼女は、ベッドに横たわっていた。おむつをしている。
 「ほんとうなら、春から小学校へ通っているはずの年齢なんですよ。」
 なのに、どう見ても身体つきは2歳足らずの幼児である。手足はもちろん口すら動かせないようだ。
 よだれが、糸を引いて垂れている。母は、淡々と言う。
 「筋ジストロフィーなんです。」
 全身の筋肉がしだいに弱っていき、最後には心臓も鼓動を停止する。現在も治療法のない難病である。私の頭では、そんな知識が打ち出されている。
 だが、胸は激しく波打ち、手は細かく震えていた。突然襲ってきた激しい羞恥心からである。顔だけは、必死にゆがんだ微笑を保っていただろう。
 何をしたわけでも考えたからでもない。彼女の黒い大きな瞳と、眼が合った瞬間の反応だ。
 たぶん不平不満に駆られながら漫然と日々を送っている自分を恥ずかしく思う気持ちが、一挙にやってきたのだ。しかし、それも後の解釈で、その時は、うろたえてばかりだ。
 むろん、女の子のまなざしは、責めさいなむものではない。いっさいの意思や意味を担うことなく、ただ純粋な輝きとしてのみあった。
 ようやく我を取り戻し、再訪の約束をして、その場を辞した。
 港を去りつつ、なんとも言いようもない苦い思いが、胃から胸へとこみあげてくるのを感じていた。

■きずなが試されるとき

 夕涼みの人々が、突堤にたたずむころ、私は、海に臨む小高い丘の上にある国民宿舎でW氏夫妻と対面していた。手土産に持参したビールを差し出すと、
 「これを、ツマミにしましょう」
 と、夕食のおかずだったらしいテンプラなどを置いた。夫妻は、我々ふたり(他社の記者を伴っていた)の来訪を心に留めて、汁を御飯だけで食事を済ませたようだ。
 だが、そうした清楚な立ち振る舞いとは対照的にW氏の口から語られる話は、あまりにも型破りだった。
 一億円の豪邸、上の娘さんの結婚式で札束を撒いたことなど、どういう筋道で語られたのか覚えていないが、目の前にいる上品な夫妻の印象とギャップがありすぎて、とまどってしまった。
 しかし、彼女(ミコちゃんと呼んでおこう)に関する話になると、W氏の一言ひとことが胸にきりきりと食い入ってきた。
 W氏は、もと大阪府の公務員だった。次女のミコちゃんが発病するまでは、平凡な毎日を過ごしていた。しかし、ある日、筋ジストロフィーとの診断が下って、その生活は一変した。
 W氏がまず考えたのは、金を儲けることだった。費用をかけて最高の治療を受けさせれば、治るのではないかと考えたのである。
 そして、金相場を手掛け、思惑通り大金をつかんだ。だが、治療の方は、はかばかしくなかった。病気は日に日に進み、ミコちゃんはしだいに衰えていった。
 金塊を横たわるミコちゃんの手に握らせても、オモチャにもならなかった。たんなる金属のかたまりである。もうW氏にできることは、何もない。金儲けに熱中しているときは、それなりに満たされていたが、彼女の現実に直面すると、むなしさだけが後に残った。
 その後、現在のクルーザーを購入し、会場生活を始めた。波の上なら、多少なりとも病気の信仰を遅らせることができると耳にしたからである。
 試してみると、確かに効果があるようであった。しかし、回復するわけでもなく、一時の気休めにしかならなかった。

    

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榊原洋史
アサギマダラの見た夢

著者プロフィール
榊原 洋史 (さかきばら ひろし)

1955年生まれ。愛知県新城市出身。国学院大学文学部卒業。同大学院中退。大学院の途中で「南西諸島の神観念」をテーマにしたフィールドワークを志し、奄美諸島のひとつ徳之島に渡り、4年間を過ごす。次の2年間は沖縄本島で生活。その後故郷の愛知県に戻り約10年間、学習塾で子供達と接してきた。その後、心理学と経営学を学び、5年間の社員教育会社勤務を経て独立。現在経営コンサルタント、心理カウンセラーなど。
著書に『ひとりぼっちじゃないよ〜まなざしの島「ネィラ」をめぐる物語〜』がある。




先田光演
沖永良部民俗学