■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】
―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―
vol.7 浄土(シマ)からの声-I
■<シマ>見果てぬ夢
秋冷えの季節を迎え、さえざえとした透明な大気を感じると、海を渡るサシバの夢を見る。銀の穂先が、風に揺れるキビ畑の道。車を走らせ、ゆるやかな峠を越えると、目の前は、一面の海だ。その空の蒼(あお)、海の青のはざまをサシバが渡って行く。
そんな風景が、夢のように、ふっと胸を横切っていく。
日常のルーチン・ワークは、それなりに時間を埋め、満たしてはくれる。
だが、「いま生きているんだぞ!」という命の充実感が、いまひとつ感じられず、ふわふわした心もとなさにとらされている。
島での生活には、自然とのかかわりの中で、それが感じられる一瞬が少なからずあった。だから、よりいっそう強く胸に迫ってくるのであろう。むろん、それは自分の心の持ち方の問題であって外因的なものでないことは、じゅうぶん承知しているつもりなのだが……。
■浄土からの応答
中世に書かれた『発心集』という本に、こんな話がある。
ある若い浄土宗の僧が、村の道端で念仏の功徳を人々に説いていた。たまたま通りかかった山賊の頭(かしら)が、その説教を耳にし、
「ほんとうにナムアミダブツと唱えるだけで、浄土へ行けるのか」
と、脅すようにしてたずねた。
人殺しや強奪をなんとも思わぬと聞く山賊の群れに囲まれ、僧は恐怖にふるえながら、うなづく。すると頭は、
「なら、俺は、今から僧になる」
と、きっぱりと言い切り、手下の制止をふりきり、その場で髪をおろし、僧の衣(ころも)を奪い取って身にまとった。
そして、すぐに大声で念仏を唱えながら、西へ向かって歩いていってしまった。
残された僧は、しばらくぼうぜんとしていたが、やはり気になったので、あとを追った。
数日後、うわさをたよりに男のもとへ行くと、彼は、西の海に向かって突き出た腰の低い松の木にまたがり、念仏を唱えていた。あれ以来、食物を口にしていないらしく、さすがに屈強な身体も肉がごそっと落ちていた。
だが、眼だけは歓喜にうるみ、今まさに水平線へ沈もうとしている夕日を映し出していた。そして、僧のほうを振り向き、叫ぶように力強く言い放った。
「俺は、おうい、おうい!と呼んだんだ。何度も何度もな。すると、とうとう応えやがったんだ。海の向こうからよう……。おうい、おうい!って、観音のやつが応えやがった」
そう言い終えると、僧の存在など忘れたかのように、また一心に念仏を唱え始めた。
僧は、言葉もなく、そこに立ちつくした。
自分が導いた人間が仏に出会ったのだから、喜んでよい場面なのだが、そんな気分にはとてもなれなかった。なにか言い知れぬ敗北感のような、みじめな気持ちが、身体を重くした。あるいは、それは、一種の嫉妬心だったかもしれない。
「修行を重ね、身を清く保ってきた自分が、いくら呼んでも応えぬ観音様が、こんなやつの呼び声にたやすく応えてしまうなんて」
そう心の中で、つぶやいていた。
はっと我に返り、一時なりとも悪想念にふけっていた自分を深く恥じ入りながら、僧は、持っていた稗を男に手渡し、立ち去った。
また幾日か経た後、そこを訪ねてみると、男は、西を向き、手を合わせたままの姿で息絶えていた。穏やかな顔であった。開いた口からは、稗が芽を出し、やはり西に向かって葉を広げていたという。
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