■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】
―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―
vol.7 浄土(シマ)からの声-II
■遥かな呼び声
浄土は、西の海の果てにあると信じられていた。
私は、島にいるとき、かすかではあるけれども、確かに、そこから「おうい、おうい!」と、呼びかけてくる声を聴いた。
それは、明け方、堤防にねころんでいるとき耳にした潮騒であったり、また、闇を通して伝わってくるカジカのすんだ鳴き声だったりした。ときには、月の光であったりもする。
ある夕暮れ時、ぼろバイクに仕事帰りの疲れた身体を乗せ、海ぞいの道を走っていた。カーブを曲がりきったところで視野が広がり、そこに、つきが、ぽっという感じで姿を現した。そして、水平線すれすれのところから呼びかけてきた。
私は、もう動けなかった。しかたなく足をとめ、凪の海と向かい合った。
光は、一筋の帯となって、こちらの心に投げかけられていた。そして、熱いものが、どっと流れ込んできた。涙が流れた。
それからも、月は、しばしば語りかけてきた。とくに、いまの季節、友達の家で居候生活をしていて苦しかったときは、いつも近くにいて、自分を保つ力を与えてくれた。
まっすぐ伸びたキビの穂先の上から、
「この体験は、おまえにとって、とっても大切なものだと思うよ」
と語りながら、ポンと方を叩いてくれるといった感じだった。
今も、眼を閉じると、その月は、コバルトブルーのビロードに置かれた銀貨のような輝きを放ち、くっきりまぶたに浮かんでくる。
あれから33年たった現在、真夜中に仕事から帰り、庭の門を閉めながら月光に気づき、ふと空を見上げるとき、あのときの感覚が、わずかに身体の芯をうずかせる。だが、当時ほどの「包まれている」という至福感は、残念なことにやってこない。
それだけ、現在の日常生活が平穏であるということなのかもしれないが、すべてのものごとを、ガラス窓ごしに見ているような空しさがある。
■繰り返される時
キビ畑の中にいると、周囲が見えない。ただ眼の前に、まっすぐな細い道が続くだけだ。釣り竿をかついで、道を歩く。アダン林をかきわけるようにして崖を下る。
すると、海が広がる。
ひとつ息を大きく吸い、磯に立つ。ざわざわと潮が満ちてくる。それまで乾いていた潮だまりも、「シュー、ゴボゴボ、シュウー」という音とともに、一つ二つと満たされていく。
その寄せる波とともにチヌ(黒鯛)の子もやってきて、背面とびのように腹の銀鱗を陽にさらし、激しく尾びれを動かしながらタイト・プールへと流れ込む。
それまで磯の穴の中でじっとしていた貝や小海老も、ゴソゴソと動き出す。いろんな生き物たちが一度に息を吹きかえす。引き潮のときは、逆のドラマが繰り返される。
島では、朝方の満潮時に子供が生まれると、とても喜ぶ。元気に育つからだ。もし万一、夕方に生まれた場合は、カマッタ(釜蓋)と呼ばれる竹を編んだ鍋のふたを生まれた子にかぶせ、生命力を高める所作をおこなう。この背景にあるのは、海の向こうに、この世のすべての命の源が存在するという考え方である。
よって、死ぬときは引き潮とともに息をひきとる。人の生死と、太陽の威力そして潮の満ち引きは、密接なつながりをもっている。
もちろん、すべてそうなるとは限らないが、
「だいたいは、そうだ。うちの子が生まれたときもそうだった」
という話になる。
そんな話を聞くとき、「人も一種の潮だまりなんだなあ」と思う。
ある時期、海と離れているように見えても、けっして孤立しているわけではない。大きく見れば、海の一部として存在し、そのリズムに身をゆだねている。
私の大好きな松山メッタガネさんは、こんな島唄を歌ってくれた。
浮世仮シマや
いちゅまでも居られゆめ
他人や根性 肝だ悪っさ するなよ
(この世は、仮のやどりさ。いつまでも居られるわけではない。
だから、ひとに迷惑をかけたり、気持ちの狭いことをしてはいけないよ)
当時、90歳を越えていたメッタガネさんは、いつも童女のような顔で笑み、歌った。子や孫のために芋や野菜を作り、食べさせることを楽しみとしていた。
竹籠を背負い「野の道」を歩み、野の道に腰をおろし、また海につづく道を歩いていた。
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