■榊原洋史 【アサギマダラの見た夢】
―回想録、奄美・沖縄への思いと軌跡―
vol.8 いまを生きるということ-II
■現実から目をそむけ空想の世界へ
この映画で、とくに印象深かったのは、ジャック・レモンが演ずるジェイクの前半部における生気のなさと、現実の世界に生き始めてからのはつらつとした姿への変わりようであった。
あれほど恐れていた死も、以後は、目の前の事実として受け入れていく。この違いは、なんだろうかと考えた。
現実の生活から逃避し、空想の世界にひたることによって心を満たすということは、私も、幼い頃からやってきたことである。だから、胸うたれるところがあった。
私は、グズで内気なこどもであった。また、友達づきあいよりも親のいいつけに従うほうだったので、仲間はずれにされることも多く(自分から入っていけなかったというのが正確であろうが……)当然、親友と呼べるような存在もいなかった。
そのためか、夜、ふとんに入って眠りにつくまでの間、やはり空想でひとつの世界をつくり、そこで生きた。その世界では、友達が左右におり、いつもいっしょに行動するのである。私自身も明るく活発で、冒険家であった。
そんな習慣が、中学時代まで続いた。この空想癖は、当時ほどではないが現在でも残っている。ただ現実的に息苦しさを感じることはあまりないので、逃避の手段ではなく、車の中で思うままに物語を作って遊ぶといった程度で楽しみにさえなっているが、その頃は、唯一の救いであった。
よって、ジェイクの気持ちは、痛いほどよくわかった。また、死に対するおびえも、それに関するものとして理解できた。
空想はあくまでも空想であり、現実に生きていることの充実感や存在感は味わえない。「生きているという実感」のなさが、死と正面から向き合うことを拒絶させるのであろう。
■「いまを生きない」ことが罪だ
それにしてもジェイクの「死ぬことは罪じゃあない、生きないことが罪なんだよ」と、死を考えまいとする老いた妻にやさしく語りかけるシーンには心うたれた。
ジェイクと同じように癌の告知を受けた後、幾十度の手術に耐えながら、発病前より一見はるかに明朗に、そして意欲的に仕事に打ち込み、やがて死を迎え入れた宗教学者の岸本英夫は、死がほぼ確実にやってくると自覚されたとき、猛烈な生命飢餓状態におちいったと述べている。それは、「次になにか食べられる」という保証もなく胃袋に食物がまったくない状態と同じ苦しみをもたらすという。
そうした苦しみの中で岸本英夫が得た結論は、「与えられた生命を最期までよく生きてゆくよりほか、人間にとって生きるべき生き方はない」というものだった。
この岸本英夫の話は、中野好夫(英文学者)が、著書『人間の死に方』で紹介しているものだが、この中野先生自身も、そうした覚悟をもって生きていらっしゃった方であった。
やはり私が、徳之島にいたときのことであるが、知り合いの新崎盛輝さん(沖縄史の研究者)から頼まれて、奄美の島々を歴訪中の先生を、あっちこっちご案内したことがある。
中野先生は、たいへん気さくな人であった。無理なくひょうひょうと生きているという感じがして、いっしょに楽しいひとときを過ごさせていただくことができた。
そして、島を離れるという日、港へ向かう途中で同行していた共同通信の高橋さんが急に、
「いま先生、何をなさっていると思いますか」
と、話しかけてきた。
こちらが返答に困っていると、
「ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を訳し始めたんですよ。もうすぐ80歳になるのにねえ」
と、スタスタと待合室の方へ歩いていく先生の後姿を見ながら、しきりと感心した口ぶりで独り言のようにいった。
そのときは、なんのことやらわからなかったが、数年後、先生が亡くなってから、書店でその本を見て、はっきり意味が分かった。
『ローマ帝国衰亡史』は、たいへんな大著で12巻もあり、とても先生の存命中には完成しそうもないものであった。
そのことは、先生自身も、はじめから十分すぎるほど分かっていたらしい。途中で力尽きたら、誰かが引き継げばよいことだと割り切っていらっしゃったようだ。
現実にそうなり、その意思を継ぐ人たちによって翻訳は続けられ、成し遂げられた。
先生は、その時々の自分の意思を大切にしていらっしゃった。
選択は、常に「したいか、したくないか、するか、しないか」の四つである。
状況や結果を考えていたら、とてもそんな大著には取り組めない。
その後、東京のご自宅へお伺いしたおりの雑談でも、そうした人生の姿勢が感じられた。
「今度は、薩南諸島を歩こうということになっていたんだけど、狭心症になっちゃってねえ……」
と、笑顔でおっしゃった。ちょっとつまずいて転んじゃったよといったぐらいの軽い感じで、それがなぜか印象的であった。
今回、前著を読み返してみて、先生の死生観が、その生きざまをひょうひょうたるものにしているのだろうと思い至った。
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