愛される無法者「やちゃ坊」
奄美大島には哀れな話が多い中、「やちゃ坊(野茶坊)」は型破りな人物で、義賊的な人物とも言われます。
やちゃ坊の生まれた年や場所については、はっきりしたことは分かっていませんが、父親は沖縄・那覇の石大工で、現在の瀬戸内町阿木名の豪農の家に招かれた時にできた子どもがやちゃ坊だと言われています。
やちゃ坊は、10歳を過ぎたころにはすでに家を飛び出し一人山にこもって生活をしていました。土だらけのからだに樫の木の皮の褌を締め、昼間は海ばたの岩窟や山林の中に隠れ、夜になると人家を荒らしまわっていたといいます。
あるとき、漁から帰ってきた漁師たちが舟を揚げるのに困っていると、坊を見つけて手伝ってもらいました。舟を無事引き揚げて魚を分けようとしていると、一番大きなヤチャ(カワハギ)が見当たりません。実は坊が舟を揚げるのを手伝っているときに、ヤチャを盗み取りすばやく砂の中に隠し、舟を引き揚げたあとでさっと取り出し持ち去っていたのです。
それからというもの、坊は「やちゃ坊」と呼ばれるようになりました。
このように食べ物を盗んだりするのが頻繁に起こったので、役人たちは「やちゃ坊狩り」をすることになりました。青年たちをあつめ、大掛かりな山狩りでやちゃ坊の住みかを見つけましたが、すでにやちゃ坊は逃げたあとでした。住みかには酒があったので、役人たちは酒を飲み、踊り、疲れ果てていつの間にか寝込んでしまいました。
しばらくして帰ってきたやちゃ坊はこの様子を見て怒り、役人たちの持ち物を全て奪い、身ぐるみをはがし、文字通り裸にした上、役人たちを縄でくくって身動きできないようにしてしまったといいます。
無法者とされたやちゃ坊ですが、金持ちの家から食べ物を盗み、貧乏な人の家に放り込んだり、道端で泣いている子どもにその頭よりも大きな握り飯を与えたり、また父親の還暦の祝いの日には大猪をかついで来て庭に投げ込んだともいいます。
盗みはしても人を殴ったり傷つけることなどはしなかったというやちゃ坊。シマの人々にとってやちゃ坊は、憎めない存在・愛される存在なのです。
笠利や龍郷には、やちゃ坊が住んで利用していたといわれるところが数ヶ所あります。古仁屋の近くにも「やちゃ坊ごもり」というところがあります。
やちゃ坊の最後は、住用村の山中で役人に殺されたとも、瀬戸内町の阿鉄川の上流の洞穴で死んだともいわれていますが、詳しいことはわかっていません。