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小湊(こみなと), 名瀬勝(なせがち) -奄美市名瀬、小湊校区-

 
ナトの浜(1961年) −下MAP(1)   ナトの浜(1955年頃) −下MAP(1)
当時の浜は広く、子供たちの格好の遊び場で、集落の豊年相撲が行われたりと賑やかな場所だった。また、月夜には若い男女が語り合う、ロマンチックなデートスポットでもあった。
現在のナトの浜 −下MAP(1)   現在の小湊周辺(航空写真)
だが、そんな思い出深いナトの浜も、今はすっかり変わってしまった。かつて三日月形だった砂浜は、思い出と共に冷たいコンクリートに埋められて、青の水面に直線的な影を落とす。コンクリートの防波堤が、えぐるように浜の砂をさらい、海に積まれたテトラポットが、ひっかくように波を砕く。不気味に伸びる岸壁、それに繋がるアスファルト、かつての思い出を偲ぶには、あまりにも多くを失ってしまった。
古見中と集落(1960年頃) −下MAP(2)   現在の集落 −下MAP(2)
かつての家々は茅葺で屋根が高かった。小湊は台風の常襲地帯で、真正面から風を受けるため、各家は防風林で囲まれていたが、今は住宅が立ち並び、緑もすっかり減ってしまった。
鯨松(1963年) −下MAP(3)   現在の鯨松 −下MAP(3)
鯨松は、大川河口のトマリにある巨大な磐。上にきれいな松が生え、小湊を代表する景勝地だった。この鯨松には、松の磐を背負って泳いでいた鯨が、手招きするナトの神様とトマリの神様に翻弄され、大川河口で精魂尽き果て磐の下敷きになって死んでしまったという言い伝えがある。そして毎年正月には、子鯨が親を慕って来て磐の近くでなく様子を見ようと、村人たちがトマリに集まったという。しかし、この美しい松は1981年夏に枯死。翌年、名瀬勝の有志によって二世の松が植樹された。
名瀬勝の山の上より(1958年) −下MAP(4)
当時はダムが無かったため、大川は台風が来る度に氾濫し、蛇行して周辺の水田を呑み込んだ。そして上流から大木が流れてきて、その下は魚の棲み処となっていた。
▼現在の名瀬勝周辺 −下MAP(5)

 

小湊校区の概要と今

小湊校区は、旧名瀬市南東域の太平洋側、砂丘に広がる集落「小湊」と、大川を挟んで小湊の北西側の山裾に広がる小さな集落「名瀬勝」から成る。旧名瀬市街からは車で15分ほど。1993年の朝戸トンネルの開通や、市営住宅の建設などにより、世帯数も増えた。また、1997年に小湊フワガネク遺跡から、ヤコウガイの加工品が大量に発掘されたことから、考古学的に注目され、奄美の古代史研究に弾みをつけている。小湊周辺は近年開発が進み、その風景は著しい変貌を遂げた。古くから農業、漁業が盛んだったが、近海の漁場は枯渇。養殖漁業にも向かない環境なので、水産業は芳しいとはいえない状況だ。現在は農業を営む人が多く、季節野菜や切り花などの栽培も盛ん。世帯数約300、人口約600人。近頃は集落行事などに大勢の出身者が駆けつけるなど、活気も見られる。名瀬勝は、大川流域に水田が発展していたが、現在はサトウキビや、ニンニクなどの軟弱野菜栽培が盛んになった。世帯数約60、人口約110人。高齢化が進んでいる。

 

 

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