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ノロ


■ノロとは
ノロ(祝女)は、16世紀に琉球王府によって制度化された公的な神女組織で、国家行事を司っていました。
琉球国王の尚真王(しょうしんおう)(1477〜1526)時代には王の女の姉妹が、一番最高位である聞得大君(ちふぃじん)という役職に就き絶大な権力を握っていました。その下、大阿母知良礼(うふ あむしられ)やノロ神が、それぞれ琉球国王から任命書をもらい受けて任命されていました。
ノロ神は女性のみで代々世襲制なのが特徴です。当初の神女組織は強大な宗教勢力で、聞得大君は国王即位の宣託まで行なっていましたが、あまりの強大さに尚真王以降ふたたび政祭分離が進められ弱体化、1879年の琉球国解体で公的地位を失いました。

■奄美に於けるノロたち
奄美では17世紀、薩摩藩による支配のもと政治経済的には極度の圧迫を加えられながら、ノロの宗教については何故か放任されていました。そのため、ノロたちは依然として琉球王庁から任命を受け、一生に一度は必ず首里の聞得大君に拝謁(はいえつ)し、朱印の辞令を戴いていました。ノロたちはその権威を利用して島民の迷信を助長し、いくつもの弊害(主に農業などの面で)を生んでいました。
しかし1624年、藩は奄美と琉球とのつながりを断つために、琉球王がノロを任命することを禁じ、更に享保年中(1716年〜1735年)ノロが首里に行って拝謁することも厳重に禁じました。
それでも彼女たちは、ひそかに小舟に乗って琉球へ渡り拝謁していましたが、従来の役職も取り上げられたので、生活に窮するようになり、権威も維持できず顛落(てんらく)に至りました。
ノロの勢力が衰えるに従って、新たに島民の信仰の中心となったのはユタです。

関連文献: 金久正著「増補・奄美に生きる日本古代文化」(1978年・至言社刊)より、第4章「「はら」(腹)と「はるち」(腹内))
http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/hara1.htm