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奄美シマ唄とは


■構造
奄美のシマ唄は、奄美群島に古くから伝わる民謡で、それは今も生活の中にしっかりと息づいています。裏声を使った独特の節回しが最大の特長で、日本の民謡が七・七・七・五調の二十六音であるのに対し、奄美は八・八・八・六調四句三十音が基本と言われています。
琉球も同様の仕組みですが、曲を構成する音階や三味線の弾き方が異なります。また奄美シマ唄は歌詞に万葉時代の古語が使われているなど、大変貴重な文化と言えるでしょう。

■スタイルと内容
奄美シマ唄は、主に奄美大島、喜界島、徳之島で唄われており、沖永良部島と与論島は文化的な面では琉球圏内に入るため、琉球と奄美の要素が融合した独特の唄も存在しますが異質です。
そして奄美シマ唄はその特徴が大きく北部と南部に分けられます。北部のシマ唄を『カサン(笠利)節』、南部のシマ唄を『ヒギャ(東)節』と言い、奄美北部は土地が平坦であることから唄い方も抑揚が小さく、山間部で起伏の多い奄美南部は唄い方も抑揚が激しいと言われます。
種類としては、祝い歌、恋・旅の歌、教訓歌・世態歌・哀傷歌、お祭りに欠かせない八月唄、六調(ろくちょう)等が挙げられます。
そして三味線、お囃子、チヂン(太鼓)と共に、男女で掛け合いをするのが特徴でもあります。ひとたび仲間が集まれば、掛け合いの「唄あしぃび」(唄遊び)が自然と始まり、延々と続きます。歌詞が物語調なので、非常に長いのです。また、お祭りや祝いの席などでもシマ唄は欠かせません。

■成り立ち
祭で唄われる八月唄などは、1000年という説があるほど古くから存在していたと言われています。現在多く唄われているのは、かつて奄美群島が薩摩藩の支配下にあった時代にできたとされる唄です。奄美大島、喜界島、徳之島の3島では、薩摩によってサトウキビの単一栽培を強制され、徹底的に搾取されていました。そんな苦しみの中から、いくつもの優れたシマ唄が生まれたのです。また文献などは薩摩によって全て破棄させられたため、奄美の歴史についての書物などは現在ほとんど存在しません。そこで奄美のひとびとは唄を使って、島の歴史や起こった事件、教訓などを代々伝えてきたのです。シマ唄そのものが「学問」でした。

■シマ唄と唄者の意味
「シマ唄」の「シマ」とは、「島」を意味するのではなく「集落」を意味し、集落毎に唄われ方も歌詞も異なり、解釈も様々です。そして、ほとんどの曲が作詞・作曲者が不明です。
唄者とは、唄がうまいだけではなく、方言である島口(しまぐち)もきちんと話せなくてはなりません。奄美シマ唄の歌詞は全て島口ですから、意味がきちんと理解できなくてはいい唄を歌えないのです。奄美では数十年前まで、学校などで島口を話すことを禁止されていたことなどもあり、最近ではこの島口を話せない子供がほとんど。後継者も貴重な存在となってきています。

■後継者と新民謡
現在奄美では、民謡大会などが盛んに行われています。この民謡大会は、後継者たちにとって登竜門とも言えるでしょう。ここで優勝した唄者(うたしゃ)は、様々な祝いの場などへ呼ばれるようになり、人前で唄う機会が増えます。また、現代では新民謡と呼ばれる唄もたくさんあります。